QEL エンジニア経歴

 キューイーエル   uality lectoronics aborarory    TOP  経歴

メーカーでの経験

入社当時は スルーホールの基板に関しては初心者でした。 基板メーカーには電気系の人材は少なかったため重宝がられ また 個人的にも会社を良くしたいという考えから会社に自動化、コンピュータ化の提案を重ねました。 
当時は 加工機はまだ紙テープパンチを使用していましたし まだ事務系はコンピュータが普及前でした。 
学生時代までに個人の趣味で得た 修理ノウハウ、無線機器製作ノウハウ、音響機器アンプ設計のノウハウ、マイコン設計のノウハウ、計測アンプ設計のノウハウ をベースにして 会社にコンピュータ化 メカ化 電子制御化 自動制御などを改善提案しました。後に 製造工程の改善などもし、様々なFAのコンピュータ制御化  をするなど様々な業務を兼任していました。 基板設計では 手設計とパソコンソフト自作のノウハウを生かしCAD化を推進し
 基板 CAD設計&マスクフィルム製造部門立ち上げ、設計外注から設計内作化、開発部門立ち上げを経験しました。 そのなかで 経験がある分野は 産業機器 民生機器(高級オーデイオ関連機器、計測器ユニット開発、無線リモコン、無線機)、車載機器、無線機器の量産設計などの 「基板設計」、「機器開発」 「FA機器(生産設備)修理」、「変電所の変電管理」なども経験 など 基板の知識 産業機器の修理、開発は基板メーカーの工場内外で多くの経験をしてきました。 

複数の新規部門立ち上げ、短期間の新規部門立ち上げを経験し 月100件以上に及ぶ新規開発設計の業務や外注の手配がメインの仕事でしたが FA機器の修理も行いました。(メーカーにとって 生産を長時間 止めるのは大問題なので 本業優先ではなく修理優先にならざるを得ない時期も多かった)緊急の修理などを行い機器トラブルによる長期生産ストップの回避などもしていました。 
今思えば 考えられないスケジュールをこなしていました。 設計納期も遅れてしまうため どちらも手を抜くことができず きつく 過労ぎりぎりの時期も経験、過酷でつらい時期もありました。
 が それも今では ほぼ同時に仕事をこなすマルチ作業  故障解析スピードの速さ 応用設計の範囲の広さ 故障しにくい設計 修理しやすい設計 を身につける良い経験をしたと感じます。 これが今の 小回りの効く対応 の 中でもノウハウの1つになっています。 
 
生産面では 機械故障で生産が止まることの怖さを知りました。 スケジュールがぎりぎりなので 自分が有するこの時間内でどう応急修理するのがベストかを考えたり 忙しい中で睡眠不足でも自己健康管理はしたことも個人的には非常に大きな経験となりました。
工場の場合 専門で修理屋を使うとか修理メンテナンス(CE)部門を持つ場合が多いのですが それでも 部品交換の修理を、メーカーが出している「修理マニュアル」だけを元に修得したサービスマンではラインを止めない「応急修理」に対応できない場合が多いことも  新人CEでは 部品交換はできるが調整が上手くないので上手く行かない修理屋が多いことも いろいろな技術職の方ともお話して知り、 いつのまにか そのような困ったとき(緊急時)には頼むねと相談されることが増えていました。 回路図は無くても修理は可能という独自の特技を生かして修理、改良したり 他社に修理応援という形で応急的に回路を組み直して産業ロボットを動かすことも多く経験しました。 

私は アナログ回路屋ですが デジタル回路、ソフトウェア系もパソコンも ツールとして使い続けてきたため多くの経験があります マイコン パソコン はツールとして出はじめたTK80(8080)の時代くらいから使用してきました。 パソコンの経歴は ベーシックマスター MZ-80B MZ-2000  PC6001 PC8801 PC9801初代から 最終まで その後 DOS/V 。 その頃のミニコンピュータのOSは HPなどの場合 RTE-A  UNIX へと進化。 パソコンのOS(CP/M F−DOS MS−DOS windows2.1から・・)も含めると かなりのOSを覚えなければいけませんでした。 言語はフォートラン BASIC  C  デルファイ パスカル 他・・・を経験 中でも BASICは気軽で大好きで、かなり大規模なソフトも組みました。 今でもVBなどを使います。
ハード ソフトの技術はどんどん進化し続けるため 上を見たらきりがありませんが(覚えることをある部分にだけ絞り込んだ「専門屋」にはその分野ではかなわない場合もある) いろいろな機器を見て、基板と部品を見ただけで回路がおおよそ判断できること  アナログ回路を白紙から書けること だけは負けない気がします。このことにより古く、回路図の無い機種でも修理や設計が可能となっています。

基板設計は初期は 手設計(紙と鉛筆で設計)しアートワークを製作する 徐々にアートワークが無くなり 手設計をしたものからデジダイザで入力をする方法に代わり 最終的に手設計が無くなり CADを用いていきなりデータにする方法に変わりました。急激なコンピュータ化の流れの中で 流れに乗れない設計者が多く辞めてしまいました。当時の手設計の方は職人気質の方も多かったものです。 設計者には回路あまり知らずに単に「デザイン」として設計するタイプの方も居ることがわかりました。このことは電気を知るものとしてはとても怖いことでした。 回路を知っていて基板の設計をする方がいかに少ないかもわかってきました。 私の場合、回路や物理現象を知っているからこそできる設計を目指していた気がします。
   
でも、何事も すべて最初から完璧にできる人間は居ません。 私なども若い頃は当然ながらいろいろな面で未熟なので 苦労もしましたし 難題の部分では失敗も数多くしました が  みなさんに助けられたり 自己解決したりしながら 何とか乗り越え、勉強をしてきました。設計や生産などの面では 自分が未熟なとき 自分では良いと思っていたことが原因で失敗したりすると気持ちは凹みます。(良いと思っていたからなおさら)、その後 頭を冷やしたのち 2度と同じことを失敗しないようにするという 謙虚に考えればごく基本的なことをすることで少しずつ少しずつレベルがアップした気がします。 (多くのQC(品質管理)の場を経験している 成功だけでなく失敗も経験していることが 現在のノウハウの種になっていたのだと思います。)
企業では 小さな会社を少しずつ大きくする課程なども経験した反面、営業面では 開発はしたが 販売開始までのレスポンスが悪いため販売時期を逃して 結局損をしてしまったりすることも多く 開発側から見れば非常に理不尽なことも多く経験しました。良く みなさんから 「いつ寝るの?」 と言われるような ハードな毎日でしたが 私の場合 自己健康管理はシビアに行っていますので、体はこわさなかったのだろうと思います。 
睡眠不足の面、精神面、体力面では かなり無理をしました。 今では考えられませんが 仕事的には一極集中だったと思います。 今だから書けますが 抜くに抜けないスケジュールをこなすために 過労で倒れたことも実は何度もありました。
公私共に、とにかく若い頃にかなり(普通のサラリーマンで良いと思っている方では考えられない仕事だったと思います)苦労したほうです。
21年の間には良い面も多くありました。 この21年 色々な面で人生経験としては良い勉強になったと感じます。